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交通アクセス

所在地
〒590-0821
大阪府堺市堺区大仙西町6-157-1
駐車場
5台有
電話番号
072-245-2058
FAX番号
072-245-3877

院長だより

2022/03/21

おはようございます。昨日は、奈良の宇陀市の榛原まで電車で行き、室生寺周辺で、20kmほどハイキングしてきました。以前によく行った、精進そば会席料理のお店の、一如庵にも4年ぶりに訪れました。室生古道は、このお店から、佛隆寺まで行き、奈良でも最高樹齢の桜の古木を見てから、急な登りがあり、峠を越えたあと室生寺まで長い下り道があります。室生寺から、室生寺口大野の駅まで、5-6kmは、もうバス🚌がなく、そのまま歩きました。軽く筋肉痛が残っている今朝です。4/10前後に桜が満開となる頃にもまた行きたいと思っていますが。榛原のあぶらやという江戸時代から長く旅籠を伊勢参りの旅人向けに営んでいたお店は以前にも見学したのですが、シルバーの人が案内解説してくれました。最後の写真は、大野寺の向かいの磨崖仏です。

2022/03/12

こんばんは。3/8に日本Jazz界の巨匠、ベーシストの鈴木勲さんが、89歳でコロナのためにこの世を去ったことを新聞の訃報欄で昨日知りました。彼が大阪のなんばのJazz Live SpotのLoft 6のオーナーだったことは大分経ってから知ることになるのですが、勤務医時代によく行ったこの店に時々演奏に来られているゲストミュージシャンだと最初は思っていました。子どもたちがまだ幼い時に我が家に来られたこともありました。健康相談の電話もよくかかってきました。東京や横浜に学会出張の際には現地のJazzの店に伺ったり、大阪に演奏に来られた際にはまたそちらでお目にかかったりしたものです。一度は市立堺病院で胃カメラもさせてもらいました。日本の若手のJazz musician を沢山育てて旅立って行かれました。three blind miceというレーベルのレコードは愛聴盤です。彼がベーシストになろうとしたきっかけは、1950年代に来日していたルイ・アームストロング・オールスターズのベーシストのミルト・ヒントンの演奏に衝撃を受けたことからとのこと。1970年に来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米。帰国後はまた大活躍。B-Roxyでは、毎晩のように、海外からも多数の有名jazz musicianが訪れて、来日公演のアフターで素晴らしい演奏を繰り広げていました。

安らかにおやすみ下さい、オマさん!

写真:院長だより

2022/03/08

おはようございます。今週は大腸がんと便秘の講演の座長、来週は認知症について講演という予定になっています。
長谷川式スケール開発者の長谷川先生は痴呆症から認知症という言葉への変換にも関わった中心人物でもありました。

写真:院長だより
写真:院長だより
写真:院長だより

2022/02/27

今晩は。老猫たちのご飯の世話をしながら書いています。ウクライナの情勢には多くの方々が心を痛めておられることと思います。最終的には停戦が成立し、傀儡政権が出来ないこと、希望的には、プーチン政権が終焉を迎えることを期待している私です。これまでに亡くなられた方々にも哀悼の意を表したいです。今日のお昼は和泉リサイクル環境公園まで往復走ってきました。梅はまだ咲きかけでしたが、予期していなかった菜の花の満開を楽しむことが出来ました。帰りは、走り慣れた和泉市納花町の旧街道を経て光明池に戻り、周遊路の一部を経て帰宅。全行程は10kmほどでしたが、23日に続いて良い運動になりました。今日は一般参加が急遽取りやめになった大阪マラソン大会の日でもありました。コロナ第6波もピークアウトしたようなデータが出ていますが用心警戒は続行したいと思います。リサイクル環境公園の面積ですが、23000坪ほどあるそうです。一つの野球場が3000坪ほどなので広大さがよく分かります。光明池の面積は11万坪ほどあり、リサイクル公園の5倍ほどで、またその広さを数字的に実感できます。

写真:院長だより
写真:院長だより

2022/02/23

おはようございます昨日は、猫の日でした。調べてみると猫を愛する文化人知識人からなる「ネコの日制定委員会」が、日本ペットフード協会主催のもとに1987年に一般公募して2月22日をニャンニャンニャンと読んで決定したとのこと。我が家での猫たちとの付き合いは今から20年ほど前に近所の愛猫家のNさんご夫婦から近くの公園で保護された生後間もない仔猫を紹介されたことがきっかけでした。アレジオンと名付けたオス猫と18年ほど一緒に暮らす途中で、自分たちの生活圏内で遭遇した迷い猫たちを放っておけず、次第に同居猫の数が増えて一番多い時は10匹までになりました。今一番若いのは、Neroで、一昨年10月にクリニックのスタッフが路上で発見した隻眼の仔猫で、保護した時300gしかなかった体重は、今は5kgを越えるまでになり元気に走り回っています。その次に若いバチコは、一昨年の春から昨年初めまで脱走して9ヶ月行方不明でしたが、Nさん宅に現れて再保護できました。今日はバチコの昨夜の写真を一枚載せておきます。撮影は、2022年2月22日の22時22分でしたと書きたいところですが、その時間は帰宅途中でした。

写真:院長だより

2022/02/21

お昼になりました。以前にも紹介しましたが、「7本指のピアニスト」ともいわれる堺市出身で15歳からピアノを始めて、縁があってアメリカに渡り、プロのキャリアを積み上げる途中で神経難病のジストニアに冒され諦めかけていたが、一念発起して動く7本指で再スタートし、アメリカである程度の成功をおさめてから、時々帰国して国内でもライブをあちこちで行い、昨年のTokyo2020パラリンピックの閉会式の最後でピアニストとしてWhat a wonderful world!を視聴する世界の2億5000万人の人々の前で演奏した西川悟平さんが、ショパン国際ピアノコンクールで2次審査まで通過した角野隼人さんと数年前に知り合い、お互いにリスペクトを表明して会話している、角野さんのラジオ番組を今日偶然、YouTube で視聴できました。たまたま、昨日は角野さんの全国ツアーの最終日のWEB配信を視聴したばかりでした。以前はジャズピアニストの小曽根真さんと角野さんの対談と共演をこの番組で視聴しました。その回の動画も、まだYouTube で視聴できます。

写真:院長だより
写真:院長だより

2022/02/19

おはようございます。昨日は、今年1月に新病院が完成した大阪労災病院にオープンしてから初めて行ってきました。病院の2階部分の一部を撮影。昨年訪問してお話を伺った相談員のHさんが勤務している治療就労両立支援センターのコーナーの前も通りました。心房細動のアブレーション治療でお世話になった循環器内科の江神先生の診察を受けてきました。3年半ほどになりますが、洞調律に戻り、心エコー心電図やBNPも良好です。

写真:院長だより
写真:院長だより

2022/02/06

お昼になりました。お天気は良いのですが風が冷たい大阪です。1/14に仁徳天皇陵の向かいの大仙公園の中にある日本庭園の中を久しぶりに散策してきました。堺市制100周年記念事業として平成元年に開園されています。築山林泉廻遊式庭園で、総面積26000平方メートル、南北300m、東西30〜130m、周囲約940mの庭です。川が流れ池泉には鴨が泳いでいます。冬枯れた侘び寂びのある風景を楽しんできました。

写真:院長だより

2022/01/22

夕方になりました。先日1/13にクリニックから浜寺公園駅まで片道5kmほどを往復ランニングしてきました。堺を通過する旧街道が5つあります。長尾街道、竹内街道、西高野街道、熊野街道、紀州街道です。詳しい説明は省きますが、竹内街道は難波から堺を経て奈良、飛鳥へと続く、最古の官道だったようです。今回は堺市内に残る和歌山に至る紀州街道を西湊町、楠町、柏木町、浜寺諏訪森町を経て走ってきました。ゴールの浜寺公園駅、阪堺線ちん電の浜寺駅前、旧浜寺公園駅舎は並んでいて、以前にも紹介しましたが、旧浜寺公園駅舎は、東京駅や中之島中央公会堂、その他全国津々浦々の建物を設計した建築士、辰野金吾氏により設計された鹿鳴館調の駅舎です。途中、堺市内でも最古の鳥居がある石津太(いわつた)神社、南北朝時代に石津での戦いで20歳で戦死した北畠顕宗を祭る碑のそばの石津川にかかる太陽橋などを通過しました。まだ旧家の建物も一部保存されています。虫籠窓が特徴的でうだつ卯建がある家もありました。

写真:院長だより
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2022/01/13

お昼になりました。東大医学部在学中に最年少で司法試験に合格した男性の記事を読みましたが、昨年、炎症性腸疾患を開業医で診療している医師の会IBD-Pに講演で招待した田邊先生も医師であり弁護士で、講演の後でお話した際にマラソンランナーでもあることを伺って、堺市出身のアドベンチャーランナーの北田雄夫さんのこともごぞんじでした。お手紙したら、一冊の著書を送って下さり、弁護医師という言葉は先生の登録商標だと紹介されていました。日本には弁護医師が数十名しかいないそうです。

写真:院長だより
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2022/01/12

おはようございます。堺市内を少しランニングした翌日は、つぼ市製茶本舗を訪れて、遅い昼食を頂きました。夏には巨大なかき氷を頂いたこともあります。今回は茶粥定食のミニサイズを頂きました。ストーリーズにも掲載しましたが、嘉永3年1850年創業のお店です。嘉永6年に黒船に乗ってペリーがやってきたり、徳川家康が逝去したり、嘉永2年に葛飾北斎が亡くなったりした時代だったようです。町屋を改造改装して、半分ほどは、吹き抜けになっています。表を通るチン電のゴットン、ゴットンという地響きが聴こえてきます。チン電も馬車鉄道からスタートして、100年以上走り続けています。その後、ゲコ亭近くの「かん袋」に立ち寄って、くるみ餅をテイクアウトしました。いつもながら、木の札を渡されて出来上がりを待ちました。秀吉が店の名前を途中から命名したこの店は和泉屋という名前でスタートしたのは鎌倉時代末期元徳元年1329年だったそうです。

写真:院長だより
写真:院長だより

2022/01/09

おはようございます。昨日午後は堺市内あちこちを走ってきました。今月23日まで、さかい利晶の杜(りしょうのもり)で開かれている与謝野寛・晶子の旅を当時、やはり全国を旅しながら、各観光地などのパノラマ地図を描いていた吉田初三郎氏の作品とともに紹介する企画展を見に行って、常設展示や新しくVRで見る昔の堺の街並みなども見てきました。利休と晶子の紹介と昔の堺を紹介し、時々企画展や講演、またお茶なども頂ける建物として建てられていることは以前にも紹介しましたが、私は昭和54年から平成8年まで、この宿院にあった市立堺病院に勤務していて、安井町に移転する時にも新病院の構想に関わりましたが19年間、この地で仕事をしていました。近くには利休の屋敷跡、与謝野晶子の実家跡近くに立てられた歌碑、その向かいにちん電の路線を挟んで、包丁を昔から製造しているお店が並んでいたり、京都の錦市場と並んで、古い歴史を重ねてきた山之口商店街があったり、少し南に新米炊き立てと各種のおかずで有名なゲコ亭、近くに、秀吉が命名したという、くるみ餅の「かん袋」、また、やはり古くから茶の湯とともに歴史ある芥子餅の店や、蒸籠そばの「ちくま」など見所や食所には事欠きません。以前にも紹介した、もう一軒の蒸籠そばの店、葭井よしいに、ランニングの途中に立ち寄り、お蕎麦と海老天を頂きました。帰りに山之口商店街そばのコーヒーと音楽を聴かせる喫茶くすのきにも寄り、一人で長年店主をほぼ年中無休で務めるマスターとお話してきました。前回訪問時、ムッシュかまやつさんがこのお店に亡くなる直前まで何度となく訪れて談笑されていたと伺っていたのですが、もう少し詳しいお話しも聞くことができました。また別の話ですが、利晶の杜でもらった資料で、京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、堺の建て倒れということばで、昔の堺は建物にかなりお金をかけていたこと、それをうかがうことが、残された町屋に見ることができることや、その町屋を利用した喫茶や資料館、宿泊施設なども紹介されていました。

写真:院長だより

2022/01/06

夜になりました。今日朝、Neroが右の前肢をボールの水に浸けてはその濡れた前肢で顔を何度も拭っていました。両方の前肢でこの動作をしてくれて動画を投稿したらどれだけ視聴されるだろうかと思いながらしばらく見ていました。スミッコは蛇口から流れる水を飲んだり、ボールの水を呑む際に、必ずどちらかの前肢を水の中に置いたままで呑む癖があるのですが、猫も無くて7癖ですね。本日、70歳目前で自動車の運転免許証更新がありました。久しぶりのゴールデン免許証、いつも1回か2回の速度違反でブルー免許証だったのですが。今回は講習なしでもらうことができて慣れないものですから、いいんですかと聞いてしまいました。先日は70歳目前の高齢者講習を実技もありで受けてはきました。何歳まで運転するか考えなくてはいけない年齢になってきました。仕事もですが。

写真:院長だより

2022/01/04

おはようございます。最近数年はCanonの世界遺産カレンダーや岩合さんのネコカレンダーを入手しています。今年の世界遺産カレンダーの表紙は南米イグアス国立公園でした。1月は世界最古と言われるバイカル湖。写真家はここ数年、高知県出身の野町和嘉氏で日本写真家協会会長とのこと。どの写真もスケールの大きさや厳しくも美しい自然や遺跡などが写し出されています。明日が仕事始めです。

写真:院長だより
写真:院長だより

我が家の年賀状 2014年から2017年

クリニックを開院したのが、2002年(平成14年)8月で、もう15年目を迎えています。

我が家には保護した猫たちが今も7匹いて、年賀状には猫たちを何らかの形で登場させることにしています。
以前は干支に因んだ動物などをテーマにしていましたが、最初に保護した長男猫のアレジオンがもう18歳(推定)で、干支に関係なく「毎年が猫年」の我が家の年賀状です。
2014年から今年の年賀状まで4枚を掲載させて頂きます。

2014年には前年の2013年の大阪マラソン完走写真を一緒にし、
2015年は長女が猫たちのイラストを描いてくれて、
2016年は保護した時に既に片目を失っていたオス猫ももっちとのツーショット、
2017年は長女が制作した「猫ちぐら」と猫たちの写真を掲載しています。