2022/01/09
2022/01/09
おはようございます。昨日午後は堺市内あちこちを走ってきました。今月23日まで、さかい利晶の杜(りしょうのもり)で開かれている与謝野寛・晶子の旅を当時、やはり全国を旅しながら、各観光地などのパノラマ地図を描いていた吉田初三郎氏の作品とともに紹介する企画展を見に行って、常設展示や新しくVRで見る昔の堺の街並みなども見てきました。利休と晶子の紹介と昔の堺を紹介し、時々企画展や講演、またお茶なども頂ける建物として建てられていることは以前にも紹介しましたが、私は昭和54年から平成8年まで、この宿院にあった市立堺病院に勤務していて、安井町に移転する時にも新病院の構想に関わりましたが19年間、この地で仕事をしていました。近くには利休の屋敷跡、与謝野晶子の実家跡近くに立てられた歌碑、その向かいにちん電の路線を挟んで、包丁を昔から製造しているお店が並んでいたり、京都の錦市場と並んで、古い歴史を重ねてきた山之口商店街があったり、少し南に新米炊き立てと各種のおかずで有名なゲコ亭、近くに、秀吉が命名したという、くるみ餅の「かん袋」、また、やはり古くから茶の湯とともに歴史ある芥子餅の店や、蒸籠そばの「ちくま」など見所や食所には事欠きません。以前にも紹介した、もう一軒の蒸籠そばの店、葭井よしいに、ランニングの途中に立ち寄り、お蕎麦と海老天を頂きました。帰りに山之口商店街そばのコーヒーと音楽を聴かせる喫茶くすのきにも寄り、一人で長年店主をほぼ年中無休で務めるマスターとお話してきました。前回訪問時、ムッシュかまやつさんがこのお店に亡くなる直前まで何度となく訪れて談笑されていたと伺っていたのですが、もう少し詳しいお話しも聞くことができました。また別の話ですが、利晶の杜でもらった資料で、京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、堺の建て倒れということばで、昔の堺は建物にかなりお金をかけていたこと、それをうかがうことが、残された町屋に見ることができることや、その町屋を利用した喫茶や資料館、宿泊施設なども紹介されていました。




